遺影2
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遺族に挨拶するなり告げられた言葉が、「遺影は秀明君が撮った写真を使わせてもらいました」とのこと。
以前も叔父の遺影に私が撮った写真が使われた話を書きましたが、なんと今回の叔父の写真も、同じその時に撮った写真だとのことです。
前回も書きましたが、その時こういう写真を撮ったという記憶がなく・・・。
一人で写っていたということだったので、一人ずつ撮ったのかも知れません。
でも、覚えてないんです。w
ネガを見れば思い出すような気もしますが、たぶんある程度のプリントとともに、ネガも一緒にその時金婚式祝いをした叔父にあげてしまったような気がします。
しかしまあ、前回の叔父の時と言い、今回と言い、故人を偲ぶのにふさわしい写真として私が撮った写真が選ばれたのは光栄です。
金婚式をした叔父も去年亡くなってしまったのですが、葬儀は身内だけで済ませたので、遺影にその時の写真を使ったかどうかは分かりません。
撮影は室内だったので、確か天バン一発でネガカラーで撮ったと思います。
写真が笑顔だったのは、回りにたくさん兄弟や親戚がいたからでしょう。
表情を引き出したのは私ではなかったような気がします。
今日は撮影を頼まれていたわけでもないので、G12一台しか持って行かなかったですが、最後私が声をかけて集合写真を撮りました。
やっぱ、フツーの方って、あまり写真を撮らないものなんですね。(^_^;)
式の最中なども少し撮りましたが、なんかいつも「撮らずにいれない」「記録せねばという気持ちにかられる」のは、やっぱビンボー症なんでしょうか?(^_^;)
記録として残しておきたいと最近は需要が増えているようです。
たまに、結婚式に参列した祖父母に遺影用に写真を撮って欲しいといわれることがあります。
きちんと正装してるからってのもありますね。
叔父様のご冥福をお祈りします。
ここ3年で2回 どちらも 撮影しました。
全て 一部始終 悲しみと 楽しかったことと 寂しさと
何にぶつけていいのかという 気持ちとをこめて
自分の気持ちを これでもかと 詰め込んで撮影しました
撮影中 嫌な視線も感じた時もありましたが かわいがってくれた
叔父に対しての 私の気持ちが カメラのシャッターから指を
ファインダーから目が 離れませんでした。
「遺影用」というと、なんか「縁起でもない」と思われがちですが、いずれは必要となるものですからね。
ちゃんと撮れる機会があったら撮っておいた方がいいですよね。
それで気に入らなければまた撮れば良いのだし。
うちの母も、母の姉が亡くなったとき、葬儀の帰りに私が撮った写真を最初「遺影用に」と言っていました。
その時はまだ記憶も確かで健康なときだったのですが、いずれ自分も死ぬと思って、その頃よりいろいろ考えていたようです。
そうした書き置きがあったので、記憶力が低下し、症状が悪化していったときにも、ハッキリしていた頃の母の意志を尊重することが出来ました。
スナップでもいいから、良い表情の写真を撮っておきたいですね。
ちなみに私の父の遺影は、姪の結婚式に出席したとき、カメラマンが撮ったものでした。
正装しているだけでなく、表情も良かったです。
「記録」として残しておきたい、という気持ちに駆られるんですよね。
撮っておかないとあとで後悔しそうな。
自分のために必要なわけでもないのに、何故かそう感じるんです。
職業カメラマンだからと言うより、写真好きだからでしょうね。
思いのこもったコメントありがとうございます。
そうなんですよね、カメラマンだからこそ、写真に気持ちを込めたいと思いますよね。
父の時はさすがに自分でちょこまか動いて撮るわけにも行かなかったですが、母の時は家族葬だったので、けっこう撮りました。
喪主は泰然としてないといけないのに、落ち着きがなかったです。w
集合写真って、年を経るほど価値が増してきますよね。
だから撮っておいた方がいいと思うのですが、写真を撮る習慣のない人からすると大仰なことに思えるのかも知れません。
写真はアマチュアです。
私も父の写真を撮り遺影に使用しました。
買ったばかりのブロニカEC,フイルム現像、プリントもやりました
思考力の薄くなった父に糊の効いたYシャツを着せて撮った写真で今も鴨居の上に母の遺影と一緒に並んでいます。
ブログ拝見致しまして思わずコメント致しました、これからもブログ拝見させて頂きます。
コメントありがとうございます。
ブロンニカECというのが良いですね。
お父様ときちんと向かい合ってお撮りになった様子が思い浮かびます。
親の写真を撮るのも孝行のひとつですね。
今後ともよろしくお願いいたします。